まるマッコリの日記(仮)

自分の思ったこと、好きなものを書いていきます。主に特撮やFGO。

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『ウルトラマンタイガ』第10話 感想 ナックル星人の人間臭さに、悔しさと嫉妬の涙を流す

ウルトラマンタイガ』第10話「夕映えの戦士」、拝見しました。

放送直後、SNSが盛り上がったこの話。おそらく神回の1つとして、今後は語られていく事でしょう。レジェンドの登場。美しい夕陽が輝くセット。そして何より、ウルトラマンらしい、何とも言えない後味を残すシナリオ。今回も非常に素晴らしい回だったと思います。

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ナックル星人が下した決断に、私は静かに泣くしかありませんでした。他人事のようでは無い気がして。

以下、私の妄想をつらつらと。

 

 

あまりにも「人間臭い」選択をした彼に、思いを巡らせる

私はナックル星人があの選択をしたことは、トレギアの誘いとは別にもう一つ、地球での人間らしい生活が起因しているのかなって思いました。地球での生活を楽しむ内に、人間らしい心も成長していった。その人間らしさが、彼を戦場へと導いたのではと。

例えば、いつものように絵を描いた帰り。もしくは絵を描いている途中。美しい夕陽が目に入る。美しいと思うたびに、あの時の夕映えの戦士の事を思い出したでしょう。その度に、「自分もあんな風になれたら」という気持ちが募っていたはずです。

 

またとある別の日には、夢に向かって一生懸命な人間を見かけたのでは?

例えば、路上や公園でギターを手に取り歌い上げる人間、大道芸の稼ぎで日本中を旅する人間、出演する小劇場公演のビラ配りをする人間…

彼は生活する中で、様々な夢に触れてきた。そこに美しさを見出した。それが募り募って、自分はどうだっただろうと思いを馳せた。そして今の自分が立っている場所に、違和感を感じてしまった。

だから旅立ちたくなった。自分が自分だと確信をもって闊歩してたあの日々に。

ウルトラマン 夕陽に死す

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当然ながら、私の妄想でしかありません。ただ私は、ナックル星人のあまりにも「人間臭い」選択に、彼が地球で過ごした、幸福と蟠りを積み上げる生活について、様々な妄想を巡らせずにはいられませんでした。

 

 

夢を追うことは「人間」の特権であり、残酷な欠陥だと思う

ナックル星人が、忘れることができなかった過去の栄光。本人も語ってましたが、地球での暮らしが幸せではなかった訳では無いんですよ。ただ、ただ、どちらが自分の好みだったかって話だと、私は解釈しています。

地球で絵を描いて静かに生涯を終えることよりも、自分が過去に成しえなかった夢に挑戦することを選んだ。ただそれだけの話。

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一見無謀な選択なように思えますし、実際無謀でした。万人が見ても「正しい選択」だったとは思えないでしょう。

でも無理だと分かっていても、無謀だと思っていても、どうしても諦めきれない事って、「人間」なら誰しもあると思うんですよ。ましてや、自分が望む舞台で一度栄光を築いてしまっていたら、なおさら目を逸らせない。甘い甘い蜜の味を、忘れることはできない。

だから選んだのと思います。

玉砕が目に見えた挑戦でも、手を伸ばさずにはいられなかったのだと思います。

夢を叶える

夢を叶える

 

 

 

間違いなくヒロユキ君にしかできなかった

ヒロユキ君の選択は正しかったと、私は思ってます。まずもって、地球で暴れるナックル星人を撃破したことは、ウルトラマンとして間違ってはいないですし。

それと、夢というのは、誰かが引導を渡す必要がある場合があります。これは誰でも良い訳じゃなく、引導を渡せる人間は限られていて、いない場合も多々あります。ただ今回は、たまたまヒロユキ君が当てはまった。

 

ヒロユキ君にとって残酷な話だったかもしれませんが、あの時ナックル星人の相手をできたのは、色んな意味でヒロユキ君しかいなかった。使命を全うしたという意味では、「正しい」行為だったと思います。

 

 

私はこれから幾度となく、「夕映えの戦士」を思い出すでしょう

今回の話は、これまで以上に私の心に残るものでした。映像美、シナリオと、この話で考えられることは無数にあるし、考えてもはっきりとした答えは出ない作品になるでしょう。

ただ私は、引導を渡すにふさわしい存在がそばにいたナックル星人を、全てを捨ててでも夢に生きることを選んだ彼の心を、少しばかり羨ましくも思うのです。