悲しさと悔しさと、絶望が溢れた
ブラッド・ピット主演作『アド・アストラ』鑑賞しました。
広大な宇宙を舞台にした、1人の男が父親を探す物語。恐らく見に来た人達のほとんどが、壮大なスペクタクルで描かれるスペースムービー、『アルマゲドン』ような、最後には感動の涙を流す作品である事を想像して、劇場に足を運んだのだと思います。私もその内の1人です。
しかし、映画が終わりエンドロールが始まると、劇場にいる半分以上の人達は去っていき、最後までエンドロールを見た人達も、口々に不満を漏らしながら劇場を後にしていました。
そうこの映画、私が見た感想としては、あまり派手さが無かったのです。壮大な冒険譚ではあったと思うのですが、感動の涙を流すような内容ではなかったと思います。
宇宙空間であるが故の無音の戦闘の連続。次々に思いがけない事故に合う乗組員達。そして救いのないラスト。お世辞にもこの映画を「感動して泣けた」とは言えませんでした。
ただ、ただ私はこの映画を終える頃には涙を流していました。感動では無い涙。それは悔しみの涙であり、悲しみの涙であり、そしてそれは、絶望の涙でもありました。
私はこの映画が好きです。けれど、人には薦められない。特に、「今何かにひたむきに頑張っている人」には。
以下、感想をつらつらと。
父親という呪い
親からの教育が子供に及ぼす影響は大きいと思っています。根拠となる数値があるかどうか分かりませんが、少なくとも本作の主人公であるロイは大きく影響されていたようです。
ロイは、父親であるクリフォードに対する不満を口にしていましたし、実際に思っていました。しかし宇宙飛行士になってからのロイは、家族を顧みない、常に仕事の事を考えている、父親のような宇宙飛行士になっていました。
子供の頃から近くにいて、一番関わることになる人間が、模範にならない訳ないんですよね。その模範が良かろうが悪かろうが、その人の基準になる。よく聞くのが、DV被害にあった子供は、親になってDVをしやすくなるという話。
父親の教育が強く影響しているが故に、嫌いだった父親のような人間になってしまった。この物語では、そんな呪いのような父親の影が、ロイを海王星へと旅立たせるのです。
何故ロイはあそこまでして父を追いかけようとしたのか
同じ夢を追いかけた仲間としての責任を背負っていたと思われます。地球外知的生命体の探索という、宇宙の神秘に挑んだ同業者を、汚名を着せたままにしておくのは忍びない。同じ夢を追いかけた人間として救ってやりたいという感情があったのだと。
また、やはり家族なので、大事に思う心もあったのだと思います。心配で仕方なかった。だから助けたかった。そんな家族としては当たり前の感情が、彼を海王星まで突き動かしたのではないでしょうか。
人の手が加わるという事の空しさ
当たり前のように描写される月への移動。まるで飛行機の搭乗手続きのようでした。たどり着いた月は観光地と化しており、賑やかではありましたが、何処となくがっかりする風景でもありました。
また月面移動中の戦闘。月では資源争いが頻発しているという話でした。昨今の地球でも、海上などで資源を狙ったタンカー襲撃などのニュースを耳にしますが、まさか宇宙でも同じような事になっているとは。
月での一連の出来事には、恐ろしいまでに日常が溢れていました。人の手が加わる事が、如何に神秘性を損なう行為かを訴えられていた気がします。
クリフォードが辿り着いた「夢の果て」
今なお宇宙という神秘は、人類に大きな夢を与えています。日本人宇宙飛行士が飛び立ったりすると、中継や実験などで世間は盛り上がりますし、人類はどこまでも夢を見る事でしょう。
でも、夢には終わりがあります。いつまでも希望を与えてくれるような存在ではありません。では、その終わりとは何時なのか。
クリフォードは地球外知的生命体を見つけられなかった。海王星には何もなかった。これが、この映画が用意した「夢の果て」です。
でもクリフォードは帰らなかった。発狂する乗組員を殺してでも、宇宙に留まり調査を続けようとした。
夢には終わりがあります。でも夢の終わりは、夢を見ている本人には分からないようになっています。なので、夢を見ている人は終わりがないと思っている。
でも、どんなにがんばっても、叶わない事ってあるんですよ。これを見極められるかどうかが、生きる上で重要になってくる。見極められなかった場合、人生はみるみる間違った道へと進んでいく。
クリフォードは、見極められなかった。というより、諦めることができなかった。だから過ちを犯した。恐ろしいのは、クリフォード本人が、地球外知的生命体が存在しない事に薄々気が付いていながら、諦めきれなかった事。
クリフォード自身の夢でもあったからでしょう。でも同時に、人類の夢でもあった。夢とは即ち期待感でもあります。自分への期待、全人類の期待を一身に背負った彼には、何の成果もなく帰るという選択肢は、残されていなかったのではないでしょうか。だから、帰る事を拒否して宇宙に留まることを選んだ。
夢に生きる者の末路、「夢の果て」を見せつけられた瞬間。
私はクリフォードの夢にかける執念に、悲しみと、悔しさと、絶望の涙が止まりませんでした。
お芝居の話
ブラッド・ピットさんとトミー・リー・ジョーンズさんが表現する、人間の極限状態は、心臓をグッと掴まれる程強烈なお芝居でした。恐ろしく見ごたえがありです。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』では頼りがいのあるスタントマンを演じたブラピ、缶コーヒーの『BOSS』で面白い宇宙人を演じたジョーンズの、新たな側面を発見することができます。
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夢と言う病は、自身でケリをつけるしかない
宇宙飛行士になる為には、様々な検査が行われると聞きました。劇中でも、たびたび精神検査が行われていました。人の心がどのような状態なのかを数値で見る検査です。しかし、検査は絶対ではない。
夢は病だと思います。人の心を蝕む病。いい方向に突き動かす場合もあれば、取り返しのつかない事になる場合もある。一度この病に侵されれば、あとは自身の決断でどうにかするしかない上に、この病は検査では見つけられない。
『アド・アストラ』が見せた、1つの「夢の果て」。人は夢に対して、どう向き合っていけばいいんでしょうかね。
ただ1つ言えることは、進む事も、戻る事も、留まる事も、全て自分で判断して選ばなければならないという事なのでしょう。父親の疲れ切った姿を目の当たりにしたロイは、せめて自分の家族だけは大事にと、最後の笑顔は、新たな一歩を決意したようにも見えました。