まるマッコリの日記(仮)

自分の思ったこと、好きなものを書いていきます。主に特撮やFGO。

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『Thunderbolt Fantasy 西幽玹歌』感想 「浪巫謠」という曇りなき楽曲の物語、朱炎の剣が正義を謳う。

語られる過去・明かされる舞台

『Thunderbolt Fantasy 西幽玹歌(サンダーボルトファンタジー セイユウゲンカ)』、鑑賞しました。

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Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』、『Thunderbolt Fantasy 生死一劍』、『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀2』と、作品としては4作目。長く続いていて嬉しい限りです。

公開に先駆け、様々なイベントも開催されており、コンテンツとしての盛り上がりを感じます。

marumakkoriblog.hatenablog.com

 

今回はテレビシリーズ2期の超人気キャラクター「浪巫謠 (ロウフヨウ)」の過去のお話。またシリーズ初の舞台「西幽」のお話でもあって、期待が膨らみますね。

吟遊詩人として紹介された巫謠。初登場となったテレビシリーズ2期では見事な演奏を披露し、目をつぶって音だけを聞いて戦うという超人技を繰り広げるなど、華々しいデビューを飾りましたが、作中でその歌声が披露される事はありませんでした。相棒である「聆牙(リョウガ)」曰く凄い歌らしいのですが、果たして聴くことはできるのか…。

以下、感想をつらつらと。

 

 

順を追って「浪巫謠」を紐解く

さすがは本作の主役だけあって掘り下げる事がいくつかあります。順番に行きましょう。

 

 生きる事の全てが「母親」だった巫謠

鋭すぎる感覚ゆえに現世への生きづらさを感じていた巫謠。閉ざされた世界に住む彼にとっての唯一であり全てだったのが母親である「咒旬瘖(ジュシュンイン)」。旬瘖の望みこそ巫謠の意志で、旬瘖の希望である事こそ、巫謠にとっての生きる意味だった事は間違いありません。

旬瘖の為に生きていたと言っても過言では無いでしょう。

そんな旬瘖が声を枯らした(その後歌えてた様子を見ると声変わりを迎えた様にも思える)巫謠を受け入れられずに気が動転し、崖から転落する。巫謠は旬瘖の死を自らの罪だと、刃として鍛え抜かれた声を呪うのです。

 

外の世界で初めて芽生える仲間意識

生きる目的を失って、鍛え抜かれた刃を収める鞘を探していた巫謠。

立ち寄った酒場で歌う事は偶然の成り行きでしたが、そこで鞘を見つけます。

が、酒場で歌う事がなんとなく悪いと分かってる。納得ができていない自分を認知していながらも、そこに収まろうとする。

旬瘖を殺した自分には選ぶ権利はないと思っていたのか。または旬瘖を頼りに生きてきたから自分で決める事を知らなかったのか。いずれにせよ苦悩する日々を送ります。

そんな中での「睦天命(ムツテンメイ)」との出会いは、巫謠にひと時の癒しを与えてくれた事は間違いないかと。

人を見抜く能力から睦を信頼していたのもあるでしょうが、自身の幼い時の歌声と似ていた睦に親近感や安心感が湧いたでしょうし、何より同じ音楽を奏でる者として仲間意識が芽生えた。その結果、睦を唯一心の内を打ち明ける相手として、信頼を置いていたのだと思います。

 

母親の思惑や嘲風の発言に嘘は無い

計らずも朝廷に入る事になった巫謠。そこでこれまで鍛えてきた才能の全てを如何無く発揮し、見事母親との夢を達成します。

「嘲風(チョウフウ)」に見初められてからの巫謠は、確かに籠の中の鳥なのですが、母親が望んだ形には一応収まっているのですよね。しかも俗世の悪意に晒されない朝廷内の生活は、人の目に敏感な巫謠にとって、苦しみは少なかったと思います。旬瘖の悲願を達成し、嘲風の言う事も間違いでは無い。それを理解しているからこそ、巫謠も違和感を感じつつ、歌い続けたのかなと思いました。

 

見定める自らの道

突如として現れる睦と「殤不患(ショウフカン)」。この出会いが、巫謠に真の正義を知らせます。

一度は人との関わりに嫌気がさし、世と離れようとする巫謠。しかし睦から、刃を振るうための柄である「巫謠自身に宿っている感情」の存在を諭され、巫謠は正義と共に自らの意志で音を奏でる事を決意するのです。

 

思えば、最初に睦と会っていた時から、巫謠は自分の意志で歩む事を望んでいたような気がします。ただやり方も、歩むべき方向も分からない。自らが歩むべき道を探していた時に出会ったのが、過去の自分と同じ歌声の人間で、しかもそいつは自らの意志で奏でている。羨ましかったと思うんですよね。巫謠自身もそうなりたいと思えた。

 

睦と出会った事で自身が持つ意志に気付き、そこに殤が1つの道を示す。さらに睦が後押しした事で、巫謠は母親との決別と自らの意志で歩む事を決意する。

ずっと沈黙を保っていた聆牙も、ようやく内なる声に耳を傾け始めた巫謠に声をかけ変身する。その瞬間こそ、真の意味で「浪巫謠」が誕生した瞬間なんだと思いました。

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旬瘖の教育は「愛」

他のキャラクターについてもつらつらと。

旬瘖は一見ひどい扱いをしているように見えますが、私は愛故にだと考えていまして。

彼女の教育方法を肯定するわけではありませんが、巫謠の人ならざる感覚を見いだしていた彼女は、悪意蔓延る人の世では生きづらいと考え、朝廷に入れてもらえる方が安全だと判断したのだと思います。

自身がのし上がる為に巫謠を利用しようしたとも考えられますが、それは明白な悪意であり、悪意ある人間に、巫謠があそこまで尽くすとは考えられないんですよね…。

巫謠自身の幸せを願ってこその教育だと一番理解していたのは、他の誰でもない巫謠自身なのではないかと思っています。

 

 

 

嘲風を酷い奴だとは思えない

個人的には、嘲風もなかなか可愛そうなキャラクターだと思っていまして。

作中では傍若無人で残酷なキャラクターという印象が強いのですが、彼女の振る舞いや、朝廷の中での生活を考えると、憎めないのが正直な話。

彼女の立場を考えると、人間そのものに不信感を抱いていたのではないかと思うんですよ。周りの人間は彼女の地位に対して敬意を払っている訳で、彼女自体には何とも思っていないんですよね。宰相なんかが典型的で、彼女の地位に対してヘコヘコしているだけ。人形が笑顔のままで他に表情が無い事からも、「彼女の前では笑顔以外は必要ない」という姿勢を感じます。また彼女の住む環境を考えても、人間の悪い部分に触れる機会が多々あったのでは。

地位によってコロコロと態度を変える人間の卑しさを憂い、自身の利の為なら裏切りをも辞さない人間の意地汚さに辟易していた。だからこそ何物にも揺るがない強さと、美しさを探した。その結果があの演奏勝負だったのかなと…。

故に巫謠との出会いは、相当運命を感じたんと思うんですよね。手でハート作っちゃうくらいだし(笑)。ようやく信頼できる相手が現れた、と思ったことでしょう。

巫謠に優しく語りかけ、身をゆだねた時の彼女は、ひどく安心した様にも見えました。

 

また演奏勝負という形で自身の権威を表す事で、信頼できない周りを敬遠していたようにも見えました。「こんな事が許される自分に逆らったらどうなるか分からないぞ」という、彼女なりの防衛手段だったのかなと。自分にあるのが権力や地位だけだという事をひどく理解していたんだと思います。

特に最後の「私の命は帝の命」という趣旨の発言からも、今の地位以外自分には何もないという自信の無さを感じるんですよね。そこに加え、やっと見つけた安心がいなくなったとなっては、そりゃあ国の守りが手薄になるぐらい取り乱しちゃいますよ。

 

 

殤に仲間がいた事にホっとした

まぁ、テレビシリーズの頃にもその存在は明言されてましたよ?魔剣目録を作ったのは自分じゃない事は、殤の口から聞いてはいました。

しかし、実際に見るのとは、また安心感が違うじゃないですか…。魔剣を巡る旅に、睦や詭匠みたいなちゃんとした仲間がいてホっとしましたよ。1人で戦ってたんじゃなかったんだなって。

しかし、そうなると気になるのは睦達の行方。凜曰く、それはまた別の物語との事でしたが。

…気になる。

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睦について

ヤバい。

まじタイプ。

性癖クリティカルHIT。

推したい申し上げております。

…私からは以上です。

 

 

 

新シリーズに向けて思いは1つ

巫謠の声優として西川貴教さんを起用した事をフル活用した展開も良かったですね。楽曲のかっこよさは、この作品の魅力の1つでもあるので、その点もうまく絡めた非常に面白い作品となったのではないでしょうか。

如何にして「浪巫謠」が誕生したかを目の当たりにし、また西幽とはどのような土地なのかを垣間見る事ができた、シリーズの中でも重要な話になったとも思います。

 

テレビシリーズは既に3期の制作が決定しており、まだまだ目が離せません。

今後の展開にむけて私が願う事はただ1つ。

―睦、生きていてくれ…。頼む…。