まるマッコリの日記(仮)

自分の思ったこと、好きなものを書いていきます。主に特撮やFGO。

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『銀河英雄伝説 Die Neue These 星乱 第三章+多田監督Withおっさんず御礼トーク』感想 「銀英伝」出演は、役者に対する誉である。

セカンドシーズン終幕

銀河英雄伝説 Die Neue These 星乱 第三章+多田監督Withおっさんず御礼トーク付上映会』鑑賞しました。

銀河英雄伝説 Die Neue These 星乱 第三章

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セカンドシーズン星乱、最終章。両国の内乱が終結し、再び宇宙の覇権をかけた戦いが始まる本作。一方は守ったものの真価に疑問を持ち、味方を多く作りましたが、敵も作ってしまいます。もう一方は大きなものを獲得し、かけがえのないもの失いました。

激動のセカンドシーズンでした。多くの人間が、同じ制服を着た人間によって殺されるという怒涛の展開。大国故の悲しい事故とでも言いましょうか。どの話も心苦しい話ばかりです。

その中でも、やはり避けては通れない話題が「キルヒアイスの死」。彼の胸に無慈悲な運命が貫かれたその時、劇場ではどこからともなく悲しみの音が聞こえてきました。私の噂でこの事実を知っていましたが、今でもショックを受けています。

私がなんとなく死の事実を知った上で悲しい思いになれたのは、梅原裕一郎さんが積み上げてきた忠臣としてのキャラクターと、我が友の死を間近で見る事しかできなかったラインハルトの悲痛さを見事に演じきった、宮野真守さんの表現力があったからだと思っています。

今回はそのことについて、つらつらと。

 

 

今を代表する名優の緻密な積み重ね

前提として、私は原作を知らず、石黒版の見たことがない完全なニワカです。語る視点は「ノイエ銀英伝」のみなので、沼に浸かっている人程物足りない文章になるかもしれませんが、ご了承ください。

 

第三章に至るまで、ラインハルトとキルヒアイスは、実に緻密に関係性を築き上げてきたと思います。

まず梅原さんの演じたキルヒアイス。徹底して「ラインハルトの部下」である事を貫いていました。第三章冒頭の問いでも即答だったように、シリーズを通してその意思は一貫されています。

なぜかというと、キルヒアイスはほとんどの場合、ラインハルトの前ではいつも以上に真面目なんですよ。言い方を大げさにするなら、堅い。ラインハルトでない人物に話しかけるときは普通に笑ったり、話す声にも柔らかさがあったりと、本来の「キルヒアイスらしさ」がにじみ出ていました。しかしラインハルトの前ではそれをほとんど出さない。会話の果てに笑う事はあっても、会話の入りは必ず堅いし、終わるまではその姿勢が貫かれている。友である前に部下としてラインハルトと接するという心構えが、梅原キルヒアイスには感じられました。

次いで宮野さんの演じたラインハルト。普段の部下の前では上から目線な態度ですが、冷静であろうとする様子も見受けられました。有体に言うならば「できる上司感」を演出していたように見受けられます。しかしキルヒアイスと二人だけになると、感情がとたんに爆発。普段は見せないようなホッとした笑顔で出迎えたり、ムカつく人間に「ムカつく」と暴言を吐いたり、キルヒアイスの前でだけは、ある意味自然体でいました。

お堅いキルヒアイスとはやや対照的で、キルヒアイスの前ではどことなくフランクで柔らかい感じを見せるのが宮野ラインハルトだったと思います。

この二人のキャラクターは、テレビシリーズと劇場版を経て、少しずつ積み上げられてゆき、また関係性も強固なものになっていきます。2人が夢へと近づく度に、キルヒアイスは部下としての自分をより律していったように見えたし、ラインハルトもキルヒアイスの前ではよりフランクになります。少しずつです、少しずつ。

 

そして本作第三章で、積み重ねてきたものが爆発します。

まずは冒頭。梅原キルヒアイスは、とにかく部下として上司の間違いを修正する事を徹底しておりますが、そこに厳しさはあれど、冷静さはありませんでした。部下としてという以前に、友として市民を見捨てたラインハルトが許せなかったというのが本音だと思います。これまでキルヒアイスはラインハルトの振る舞いに間違いがあると思えば、極めて冷静に、部下として接してきました。それが今回、開口一番に、若干声色も高めに指摘してきました。この違いに、部下か友かの意識の違いが表れていると思います。しかしその思いも空しく、ラインハルトを怒らせるばかりで正す事ができず、今まで受けていた「特別待遇」も無くなってしまいます。キルヒアイスはあくまで部下として「耐える」事を決断するのですが、そのモノローグにはどことなく寂しさが見え隠れしていたようにも思えました。

宮野ラインハルトは、いつものように笑顔でキルヒアイスを迎えたようにも見えましたが、どことなくわざとらしい。いつも以上に優しく接しているようにも見え、口数も多い。久々の再会に胸が躍っていたとも取れますが、やはりどこかうわべ感が拭えない。そしてキルヒアイスに市民を犠牲にした事を責められ激昂。オーベルシュタインの進言もあり、キルヒアイスの「特別待遇」を解除します。激昂する彼の姿には、後悔の念と共に、「友なら優しくしてくれ」という我がままな思いも含まれていたように思えました。だからこその「お前は俺のなんだ?」だと思います。本当は「友」と答えて欲しかったのかもしれません。自分の夢の為にやむを得ず市民を犠牲にした事を、友であるキルヒアイスなら理解してくれるかもしれない。理解した上で慰めてくれるかもしれないという思いが、彼の焦燥しきった激昂の声に含まれていたように感じました。

 

ラスト、キルヒアイス死亡シーン。

梅原キルヒアイスは死ぬ間際、言葉のチョイスこそ、これまで部下として律してきた厳しい部分が表れていましたが、その言い方には、友としての優しさが溢れていました。死を目前に力が入っていなかったのかもしれません。しかし、これまで部下として厳しく、時に優しくラインハルトと接する事を徹底してきた彼が、最後まで力を振り絞れなかったとは思えないのです。部下として、友として、武器も持たぬ体1つで主君を守ろうとした彼が、最後の最後まで部下でいれなかったとは、とても考えられないのです。

だからこそ、最後のラインハルトへの言葉に含まれた柔らかさは、最後を悟ったからこそ、死を目前に力なくした部下としてではなく、どんなことがあっても傍にいると誓った友として口にした、最後の願いだったと考える方が、私は好きです。梅原キルヒアイスが積み上げてきた部下として律してきた自分像は、全ては友の未来を思うが故の優しさだったんだと、この最後のシーンに全てを昇華させていったと思います。

そして宮野ラインハルト。そこに「常勝の英雄」としての姿は無く、銀河の覇権を目指す野心家としての振る舞いは無く、ただただ、ただただ友の負傷を、唯一無二の友の負傷を悲しむ姿には、感動を通り越して愕然としました。これまでのカッコつけたような姿はなく、力の入らないキルヒアイスの手をしっかり握り、冷静さを取り繕いつつも語り掛ける言葉は震えている。キルヒアイスの言葉に「嫌だ」と、駄々をこねる子供の様に別れを否定し、何度も何度も震えながらも掠れながらも、遠くへ行く友の名を叫び続ける。その言い方は気を抜けば聞き取れないほどギリギリの声量と活舌で、でも確かにちゃんと言葉になっている叫び。最後の掠れ切って消え入るような友への叫びは、今なお私の心にこべりついています。

 

梅原さんの築き上げたキルヒアイスは、その散り際まで一番の部下であろうとしたし、一番の友であろうとしていました。宮野さんの築き上げたラインハルトは、その友への思いを、形振り構わず爆発させました。

この悲しみは、決してこのシーンだけが生み出したものではないと思っています。前述した通り、2人の在り方は序盤からきっちり固められており、それが回を追うごとに強固になっていきました。それが本作で崩れ、失われてしまった。これまでの積み重ねがあったからこその悲劇であり、梅原さんと宮野さんの役者としての腕前を如実に感じる事ができた、非常に素晴らしい悲劇だったと感じました。

 

 

拘り感じるいつもと違うおっさんず

 

今回のおっさんずトークには多田監督も参加していただき、いつものゆったりとしたおちゃらけトークは抑え目に、どちらかと言えば真面目な雰囲気で作品のこだわりを語っておられました。

前回は登場キャラクターを印象付けるべく、タイミングはとても吟味しているというお話でした。

marumakkoriblog.hatenablog.com

 

今回はキャラクターの散り際にもこだわっているというお話が繰り広げられました。キルヒアイスもそうですが、ブラウンシュヴァイクやアンスバッハの最後でもあった第三章。最後に何を見て、何を考え、何を思って死んでいったのかは、どのキャラクターも考えているというお話に、ただただ頷くしかできませんでした。

星乱が公開されてから、おっさんずトークに参加させていただきましたが、登壇者のみなさんオタクなんですよね。ものすごく細かいところを突っ込んで笑って感心して。たとえ一瞬のシーンでも細かい設定が施されており、その緻密さにまた笑って感心して…。そんな方々が関わってきたリメイクだったからこそ、私のような新参者でも楽しめたんだと、改めて思いました。

次回の公開はまだ未定なのですが、もっといろんな人に「ノイエ銀英伝」を見てもらう準備をしているとの事なので、できればいろんな人に見てもらいたいなと思っている今日この頃です。

 私も次回に備えて、できるだけ沼に浸かれるようにしておこうと思います。原作読読み切れるかな…。頑張ります(笑)。
古の技術を使います(笑)。ここから愚痴です。愚痴というより僻みです。夢破れた人間の戯言なんで、スルーしてもらっても構いません。余分だと分かっていますが、どうしようもなく書きたくなったので書きます。でも余分なんで隠しておきます。繰り返します、僻みです。

今回の「我が友」の死は、作品をよく知らぬ私ですら知っていた、語り継がれる名場面です。本シリーズの内容はよく知らずとも、当時のスター声優がこぞって出演した作品として、名前だけを知っている人間は、私の年代でも数多くいます。そんな名作のリメイクともなれば、宮野さんや梅原さんにかかるプレッシャーはひとたまりもなかったと思います。私では想像が及ばぬ程、様々な葛藤が渦巻いていた事でしょう。

そんな中での宮野さんのあのお芝居。圧巻でした。感動しました。心を奪われました。文章を打ち込んでいる今ですら、涙が出そうな程に。

故に悔しいのです。あんな表現をマイク前できる人がこの世にいる事が。同じ人間であるはずなのに、何故こうも人としての差がありすぎるのか。あんな人が今なお声優としてあり続けるなら、新人なんて起用する理由が見つからないんですよ。凄すぎるのですよ。

いやそもそも、悔しいと思う事すら愚かな事なんです。誰かが「声優なんて誰でもなれる」と言っていましたがとんでもない。今じゃ見た目が綺麗で愛想も良く、ある程度のラインの表現(流行りもののテンプレ演技)ができなければスタートラインにすら立てない。偉い人に気にいられ、選ばれた人間こそができる仕事なんです。田舎の引きこもりが、アニメを見て憧れて、マイク前なら芝居ができるかもなんて妄想だけで歩ける程、なだらかな道じゃない。

おそらく同じように生活しても、彼のような表現は一生できないのでしょう。そもそも同じような生活なんてできるわけもありませんが。唯一無二で素晴らしい表現を的確にできる役者だからこそ、今回のリメイク作品の主役に抜擢された。それが何にも勝る名優としての証なのです。それは努力と天性のものが合わさった結果であり、そもそもが違いすぎる。比べるのもおこがましい。私は愚かな人間なのです。

でも、それでも、羨ましいじゃないですか。あんなにも、あんなにも「常勝の英雄」として、役としてマイク前に立てる人間がいるなんて、嫉妬しちゃうじゃないですか。同じ人間なんだから、自分にもできるだなんて、思っちゃうじゃないですか。でもできないんですよ。無理なんですよ。それが悔しくて悔しくて悲しくて悔しくて仕方がない。感動する事すら空しいんですよ。

毎日毎日金を稼ぐために興味もない仕事で1日のほとんどを使って学費稼いで、稼いだ3分の1弱のなけなしの金で芝居の勉強するも来る日も来る日もダメ出しばかりで、何を改善すべきか具体的な方法を教えてもらえない。指摘事項にどうすればいいですかと聞けば自分で考えろの一点張り。そりゃ自分で考える事は大事ですよ。でもこちらだって試行錯誤してるんだから、何か具体例をもらったっていいじゃないですか。

仕事との両立に疲れ果て、どういった対策をしたらよいかも見えず、積み重ねてきたものがぶち壊れて、文句を言われる為だけに金を払っているようなもんだなと気付いた時には、勉強する気も失せ、通った足も止まりました。それでも「なりたかったという思い」だけは中途半端に残っていて今でも無様にくすぶっている。『鬼滅』を本当は見たい。見たらハマるの分かっているけど、見たら「自分も演じたかった」なって今じゃ可能性すらあり得ない妄想を繰り広げてしまうから辛い。だから見ない。でも見なくても周りが話題にすれば、夢見た自分がいることを嫌でも自覚させられる。お前はなれなかったんだ、お前は無理だったんだって。

だからこうして今も、マイク前に立っているのではなく、感情のままキーボードをたたき続けているのです。あれ、何の話だったっけ(笑)。

あぁ、とにかく。今回の宮野さんのお芝居には心揺さぶられました。そして色々考えさせられ空しくなっています。今でもどうしたら良いかわかりません。止まった足を歩めたらいいのでしょうか。でもどのようにして?動かなきゃ変わらないなんて言いますが、一生懸命足掻いた結果が今なんです。足りなかったのでしょうか、まだ余裕があるって事なんでしょうか。体も心も壊れているのに?それに足掻ける年も過ぎた。今から行くならクリティカルにいかないと。でもどのようにして?分からないよ。

役者なんて、みんな普通と違うんですよね。何もかもが。自己肯定感とか精神的肉体的体力とか興味の幅とか人当たりとか想像力とか積み重ねてきたものとか。自覚しているつもりなんですけどね。まだ夢見ている時点で足りないんだと思います。愚かですよね、ほんと。どうしたらいいんでしょうね。でもね、本当はまだなりたいって思ってるんですよ。もう心も体も動きませんけどね。まだ動けるのかな。分からないや。

でも確かな事は、できる奴はこんな風に僻むことなく、やってくると信じている未来だけを見つめて好きな事に没頭しているんですよ。芝居に没頭できなかった時点で私の敗北なんです。それは、間違いないと思います。