邂逅
『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』、鑑賞しました。
仮面ライダー界隈において、令和がスタートして3か月。ついに平成と令和がぶつかる瞬間がやってきました。何を言ってるのか自分でも混乱している部分があるのですが、時代と密接に関係する程、「仮面ライダー」というコンテンツが大きくなったという事なんだと思います。
しかし真面目な話、これまでの平成ライダーを総括してきた『仮面ライダージオウ』と、新たな時代の旗艦となって今なお航行を続ける『仮面ライダーゼロワン』。相反する作品同士の衝突だけあって、期待値が膨らんでいるのも事実。
以下、感想をつらつらと。
『仮面ライダー 令和ザ・ファースト・ジェネレーション』鑑賞
— まるマッコリ (@makkori04155) 2019年12月21日
あったかもしれないヒューマギアが人類を支配する未来
「ヒューマギアと人の共存」を掲げる或人は
新時代を担う仮面ライダーとして
時には非情になる事も必要だったのかなと
守る事は戦う事なのかなと#令ジェネ https://t.co/aOOyw0VeOd
殺伐としたアクションシーン
殺伐としたアクションシーンに目を見張るものがありましたね。平成1期を思わせるようなシリアスな展開に、非常に興奮しました。泥臭いゲリラ戦みたいな戦闘結構好きなんで、劇場で見れてよかったなと思っています。
Ⅰ型と001のスピーディーな戦いも熱かった。狭いながらも通路だったり広場だったり、壁に叩きつけられたりと、場面転換があるわけでもなく様々な箇所で繰り広げられる戦いは、手に汗握りました。
カメラワークも様々で、敵から味方から、戦っている両者の間から、上空からと、多種多様な見せ方が魅力的な作品だったかなと。このあたりはゼロワンらしさが光っていた気がします。
平成を掲げてきた仮面ライダーが向き合った事
平成ライダーというコンテンツを総括してきたジオウ。劇場版も含めて、物語では「平成」に誕生した仮面ライダーに焦点を当て、その物語を継承していきました。そんな平成ライダーとして、と言うよりやはり『仮面ライダー』として向き合わなければいけなかったのが、「昭和ライダー」なんだと思います。
平成ライダーと昭和ライダーを比較して何かを言いたい訳ではないのですが、どんなに平成を総括しても、やはり始まりとなった昭和ライダーに対して何も思わないというのは、コンテンツを代表するような作品としてはどうかなと思うところもあったので、今回のジオウの戦いは、今までのライダー同様、来るべくして来た戦いだったかなと。
「仮面ライダーは元々悪の力」と、文字通り昭和のアナザー的解答を示すアナザー1号。自身を「原点にして頂点」と豪語するアナザー1号に対して、ソウゴは「仮面ライダーに原点も頂点も無い」と言い切ります。
これ、凄い発言だと思っていまして。同時にジオウだからできる発言だなとしみじみ。
仮面ライダー界隈では、結構な頻度で衝突が起こります。自身が慕う仮面ライダーが一番だという話題で、良くも悪くも盛り上がるの時があるのです。スタートのクウガが無ければ平成は存在しなかった、アギトこそが今の平成ライダーの礎を築いていったんだ、いや昭和ライダーがいなければ仮面ライダーそのものがなかった、昭和ライダーが武器も強化もないから最強、それを言うならRXこそ無敵、いやバイオライダーを無力化できるファイズが…。と色んな意見を目にしてきましたし、この話題はどこに執着する訳でもありません。皆が自分の慕う仮面ライダーが1番だと思って譲りませんし、その一歩も引かぬ討論こそが楽しいと思っている節もあるのです。
このオタク達の間でも定番であった話題に、ジオウは切り込んだのだと思います。誰がスタートでも、誰が最強でもない。言い換えれば、それぞれがスタートだし、それぞれが1番強いという結論を導き出し、それをアナザーである1号の前で言い切りました。
この発言、平成ライダーを総括した『仮面ライダージオウ』だからこそ導き出された結論に、実に説得力があるなと感じます。私は、どの仮面ライダーもオンリーワンであるという意味の発言だと捉えており、まさしく「平成」という元号を掲げる仮面ライダーが至るに相応しい結論だったと思っています。
父親としての役割、「仮面ライダー」として戦うという事
或人と其雄の戦いもまた、避けては通れない戦いだったなと。
まずもって「或人の父親」としてプログラミングされている其雄には、或人を立派に育て上げるという目的があったと思います。そこにどのようなラーニングが施されていたのかは分かりませんが、子供を優しく見守るのも1つの父親の姿であるし、子供の前に乗り越える障害として立ちふさがるのもまた、1つの父親の姿なのだと学習していたのではないかと。それが機械的に行われたのか、感情的に誘発されたのかは分かりませんが、少なくとも私は、或人との戦いでキックを放つ一瞬に、其雄の父親としての雄姿を感じました。
父親としての役割を果たしたと同時に、「仮面ライダー」としての覚悟を背負わせるのも、役割として担ったのかなと。
平成という1つの時代が終わり、令和という新たな時代の第1号となった或人。「仮面ライダー」とは、「正義の為に戦う存在」というのは、どの世界でも普遍の心理だと思います。ある者はみんなの笑顔の為に、ある者は街の泣かせる悪を排除する為に、ある者は最高最善の王となる為に…。数多の仮面ライダーが時代ごとに誕生し、それらは各々に信じた正義を掲げて、時に迷いながらも、その時代を必死に戦ってきました。戦うというのは守る事と同義で、同時に排除する事と同義でもあるのです。
そして此度の「仮面ライダー」は、「人間とヒューマギアの共存を夢見る」男の話なのです。そこに「ヒューマギアの為だけに戦う」仮面ライダーが表れたのなら、やはり敵となるのが必然だと思います。或人にとっては父親であっても、間違いなく自身の正義の障害となる存在なのです。
だから、戦わなければならない。倒さねばならない。他人だろうが身内だろうが、自分の正義の障害となるならば、それは敵として認知しなければならない。非情にも思えるこの決断を、何よりも或人自身が信念を貫き通して生き抜いて行く為に覚悟を決めなければならないと、其雄は考えていたのかなと思いました。
故の反対票。其雄は人間にあだなす「仮面ライダー」として、「仮面ライダーゼロワン」の敵として、立ち上がったのかなと。「或人と其雄の笑顔の為に」とは、或人が望む世界の実現の為に犠牲になる事であり、それが何よりも其雄としての望みだったのだと考えています。
私の無力さをさらけ出す
気になる事も多々ありました、Twitterでも書いたんですが以下の通り。
・何故バルカンとバルキリーで倒せた?
— まるマッコリ (@makkori04155) 2019年12月21日
・ジオウの力が戻ったきっかけ?
・ジオウとゼロワンが戦う意味
絶対辻褄合うように作ってあるんだよ…
あと、「ゲイツのタイムマジーンを壊せば全て解決」というのもよく分かってなくて…。タイムジャッカーがアナザーゼロワンやアナザー1号の力を手に入れたのは2007年で、ゲイツがタイムマジーンを置いて行ってのも2007年。となると、2019年のタイムマジーンを破壊しても、結局意味がないのでは…?と思っているのですが、私の解釈が間違っていそう…。
それと彼女が気になっていたのが、惑星アークが打ちあがったヒューマギアの世界で、何故或人はバイクに乗れたのか。この辺りも何か理由があると思うんですよね…。
もう1回見れば分かるかな…。うーん私の思慮の無さが悔やまれる…。
拙いながらに綴っておくと、最後のジオウとゼロワンの対決は、公式における「平成」との決別だったのかなと。時代と共に駆け抜けてきた「平成仮面ライダー」はこれで幕を閉じ、新たに始まった「令和仮面ライダー」は、これまでとは違う線引きで進行していくんだという、ファンに対する宣戦布告のようなものを感じました。
故に令和の時代に平成の記憶は必要無いと、新しい時代は新しい時代としての正義を築き上げていくんだという事だったのかなと、ソウゴの悟ったような表情を見て考えました。
…何の確信もないんですけどね(笑)。平成ライダープログライズキーも出るらしいですし、たぶんこの考察は間違ってる…。
自分の無能さに、嫌気がさす毎日。
とりあえず思いついた事をつらつら書きました。今回の映画は、ボーっと見ているとただただ流されてしまうような映画だったかなと思います。起きた事象や、キャラクターの心情、平成と令和がぶつかる意味などを考慮しつつ見なければいけなかったかなと。
とりあえず感想書けたので、これで私も結騎さんの感想記事が読めます…。おそらく私の疑問も、ある程度はそこで解決するのかなと思っています。もう少し自分でも答えを導き出せるようになりたい気持ちもありますが…。今の私には、誰かの解説に頼る能力しかないのです。悲しいですがね。