ここに記しまするは若輩者たる男の感想なり
『カツベン!』、鑑賞しました。
ニワカとは言え、日ごろから映画を見る私としては気になっていた作品。恥ずかしながら活動弁士と言う職業を、この映画で知りました。さらに言えば人生初の周防正行監督作品でした。いや、非常にお恥ずかしい…。
周防監督の作品は後ほど鑑賞するとして、今は新しいものに没頭したいと思います。
―さて登場しますは一人の男。映画好きを名乗る世間知らずの若輩者なり。これから語られるは未熟なる心の内。つらつら流れる思考の結晶なり。
『カツベン!』鑑賞
— まるマッコリ (@makkori04155) 2020年1月5日
義理人情熱い活気溢れる活劇
癖の強い登場人物達のやりとりに惹きつけられる
例え誰かの色物だろうと
突き抜け鍛えれば立派な技術に
心から愛するからこそ極められた
心から愛するからこそ離れられた
それでも夢を持てるのは
それを誰かが好きでいてくれるから#カツベン pic.twitter.com/abefY4dNte
活動弁士
現在のように、映画に音声が無かった時代。上映と並行して解説を行う人達がいました。それが活動弁士。今でいうところの、語り手、ナレーターと言ったところでしょうか。
トーキー、映画に音声がつくようになってからこの職業は衰退していきました。じゃあ今は存在しない職業なのかと言われるとそうではなく、現在でも活動弁士としてご活躍される方はいらっしゃいます。私もその活動を生で拝見した事はありませんが、機会があればぜひ鑑賞したいものです…。
明治時代における日本の映画の在り方
活動弁士という、今では未知の職業にフィーチャーした作品ですが、決して知らなければ楽しめない映画ではなかったです。活動弁士という職業を通して、この時代の映画がどのように浸透していたか。どのように映画が盛り上がっていたかなどが描かれていたと思います。
例えば冒頭。新作映画の公開という事で、劇場の入り口では活気あふれる宣伝とビラ配りが行われるのですが、ビラや看板には、監督や主演俳優の名前のほかに、誰が活動弁士を務めるのかが記載されています。登場人物の会話からも、有名な活動弁士が存在していた事が見受けられ、当時の日本では監督や俳優と同じくらい、活動弁士にも人気があった事がうかがえます。
またこの時代の映画鑑賞は、観客が上映中歓声をあげたり、終わった後には拍手をしたり掛け声をかけたり。 今の「応援上映」のように賑やかに映画を鑑賞するようで、人々にとっての映画は、皆で賑やかに楽しむものなんだという事が伝わってきました。
活動弁士への愛、映画への愛
当初は「偽物」と揶揄され、人まねでしか活動弁士を務められなかった俊太郎。紆余曲折がありながらも、「活動弁士染谷俊太郎」として実績を積み、実力を付けていきます。
いいですね。熱いです。非常に好みの展開でした。「好きこそものの上手なれ」という言葉を思い出します。人間にとって1番の強みは、やはり夢中になる事なんだと思わせてくれました。
逆に落ちぶれ活動弁士の山岡にも非常に熱くなりましたね。「最近の映画は説明する必要がなくなった」と嘆く姿は悲しくもあったのですが、「活動弁士」を愛した俊太郎に対して、彼は「映画を愛した」んだなと。映画を愛していたから、昔はその魅力をこれでもかと語り上げ、今は自分の説明は不要だと身を引く。語れない事へのやるせなさの中に、「映画は面白いんだ」という情熱が感じられました。
粋
人情。言葉としては存在するのですが、これを言語化するのは非常に難しいなと、この記事を書きながら思います。それは人知れず人の為を思い行動する事であり、それは黙って働くぶっきらぼうな優しさであったり。とにかく、言語化が難しい。それはあえて語らないのではなく、言葉で表現するには足りない思いが、そこにあるからだと思います。
この映画も、とにかく重要なところで「語らない」事が目立ちます。梅子との再会にいたって普通でいた俊太郎然り、俊太郎を見逃す琴江然り、キャラメルだけを看守に渡し、去っていく梅子然り。
きっと感情を説明する事もできたでしょう。梅子との再会に「君に会えて嬉しいよ」と口に出し、はしゃぐ事もできたでしょう。まっすぐ筋の通った俊太郎を「素敵だ」と慈しむ事もできたでしょう。刑務所で過ごす俊太郎と対面して「会いたかった」と涙を流す事もできたでしょう。
でも口にしないのです。「会えて嬉しい」と口にするより、彼女の今を知る方が大事だったから。自分の物にならないからこそ愛おしいのだから。良き女優になる為にと、自ら離れていった彼の思いを無駄にしたくなかったから。はっきりと明言しないからこそ、最後の特別公演での語りが、より熱く、より厚く感じられる。おそらく自身と梅子の事を重ねているであろうあの語りに、涙するのです。
こういうのを、粋というのでしょう。人情というのでしょう。私が言葉にするのすら、無粋な気がしてきます。活動弁士という「語る」職業を題材にしながら、ここぞというところでは言葉にしない。黙ってみていれば間が多く、首をかしげてしまう場面も多いこの映画。「語らない」事を訴えていたこの映画そのものが、おそらく粋なものなんだと、静かに思います。
そして私は、また映画を楽しむ。
人生初の周防正行監督作品でしたが、楽しめたと思います。言葉が無い場面も多く、ちゃんと映画の意図が汲めているか分かりませんが、普通に見ていてもドタバタコメディという感じで楽しかったです。
あとは、より一層活動弁士の語りが気になりましたね。本物がどういったものなのか、何時か実際にお目にかかれる日が来る事を願って、また次の映画鑑賞にしゃれこみたいと思います。
若輩者たる男が次なる映画へと思いふけったところで『カツベン!』感想、これにて閉幕。また次の機会に相見えましょう。