まるマッコリの日記(仮)

自分の思ったこと、好きなものを書いていきます。主に特撮やFGO。

まるマッコリの日記(仮)

『mellow』感想 あやふやでほんわり、人が持つ曖昧な優しさと愛情が心地よい。

「愛する」という事

 人を愛するとはどういう事か、時々考える。

 いや、言葉にしてみれば相当恥ずかしく、なんともかっこつけしいと言うか…。中二病感が漂う気がする。ただ単に、私が素直になり切れていない、または大人になり切れていないが故に、恥じらいの感情が湧き上がっているだけかもしれないが。

 ―私の恥じらいは、とりあえず棚に上げとくとして。人を愛するとは、いったいどういう感情、または行為を指すのだろうか。

愛がなんだ

愛がなんだ

  • 発売日: 2019/09/27
  • メディア: Prime Video
 

 

 単純に、愛している相手に「好きだ」と伝えれば、それは愛しているという事なのだろうか。いや、疑り深い私はそうは思えない。言葉では何とでもいえるのだ。「好きだ」の言葉だけで愛が証明されるなら、世の中はもっと平和であるはずだ。

 プレゼントをあげるなどの行為はどうか。これは幾分か言葉よりは信用できる気がする。プレゼントを選ぶという時間的損失、購入するという金銭的損失を、愛する相手の為に捧げましたよという証明が成されるからだ。しかし、これでも愛しているの証明には不十分だ。プレゼントされたものに対して、時間や金銭が費やされたとは限らないからだ。ましてや、時間的損失や金銭的損失だけが愛の証明なら、こんなに悲しい世界は無いだろう。私のような貧乏人には、十分に人を愛する事が許されない事になる。

 …結局、愛してるの証明は難しい。言葉や行為は疑ってしまえばキリがないし、何よりこの証明は、人によって変わってくる。言葉をもらえればそれで満足する人もいるし、形にならなければ受け入れられない人もいるからだ。なんともまぁ、「愛」とは難儀なものだと思う。

 

 さらに難しいのは、愛しているからと言って、愛されるとは限らないというところだ。どれだけ言葉を投げかけても、どれだけ手間を加えたプレゼントを贈ろうとも、それを受け取るか受け取らないかは個人の自由であって、必ずしもギブアンドテークが約束されているわけではない。気持ちを表明した結果、まったくベクトルの異なる感情をぶつけられる事だってある。思っているだけで幸せだったのに、表したことで傷つくことだってあるのだ。

 それでも人は、人を愛おしく思う。傷つくかもしれないという不安を抱えながらも、愛してしまう。愛されたいと思う以上に、愛してしまうのだ。それは生物としての本能なのか、人間としての在り方なのか。いずれにせよ、やはり「愛」とは難儀なものだと思う。

 

 ただ私としては、愛するにしろ愛されるにしろ、相手を傷つけてはいけないと、悲しませてはいけないと思っている。愛するときはもちろん、愛されるときもだ。

 愛している相手を悲しませるような行為は言うまでもない。「愛する」という行為そのものに、相手の事情は関係ない。ならば、相手を悲しませるような事はあってはならないと、私は思う。相手が不快に思うのならば、それはもう愛ではなく、自己中心的なものでしかない。

 愛されたときも、同様に相手を傷つけてはいけない。これは向けられた好意全てを受けいれろという話ではない。相手から好意を向けられたならば、その好意に対して最低限礼儀は払うべきである、という話だ。礼儀を払った上で、受け入れるなり拒絶するなりを示すべきだと、私は思う。ただし、向けられた好意が誠実で、正当で、紳士的なものだった場合に限るが。

 愛するにしろ、愛されるにしろ、その間は清く、誠実であるべきだと私は思う。愛するときは愛する相手へ敬意を払うべきだし、愛された時は愛してくれた相手へ敬意を払うべきだ。見返りが無くて悲しい思いをする時もあるだろうし、思わぬ相手からの好意に嫌悪感を抱く事もあるだろう。それでも「愛する」「愛される」は、自分の為にも相手の為にも、清く誠実であった方が良いと思う。それを、優しさと呼ぶのではないかと私は思う。

 

 

 不器用、でも優しい。

 

 

 『mellow』は、清く誠実で、優しい愛に包まれた物語だ。登場する愛のほとんどは一方通行で、成就する事はほとんどない。

mellow(メロウ)

 

 登場する一方通行な愛は、どこか後ろ向きであり、前向きだ。自分達の想いが届く事は無いと、心のどこかで思いながらも、その思いを伝えずにはいられない。伝えたくなるほど、愛おしい気持ちでいっぱいなのだ。

 受け取る側にも優しさが溢れている。陽子からの想いも、宏美からの想いも、相手からの返答には、「ごめんね」の前に必ず「ありがとう」が添えられていた。まっすぐ向けられた好意に対しての感謝と、その思いにまっすぐ向き合えないという謝罪が、必ず両立させている。個人的に、私がこの物語で気に入っているところだ。

mellow(メロウ)

mellow(メロウ)

  • アーティスト:ゲイリー芦屋
  • 出版社/メーカー: Rambling RECORDS
  • 発売日: 2019/12/18
  • メディア: CD
 

 

 

青木夫妻は不誠実なのか

 唯一両立しなかった場面があった。麻里子が誠一に想いを告げる場面だ。この場面は誠一にとって、誠実さに欠ける場面だったからだと考えている。返答する意識よりも驚きの方が強かったのだろう。旦那の傍らで告げられれば、まぁ無理もない。

 この場面では、誠一は麻里子を非難するより先に、旦那の事を配慮した。一生愛すると誓った者への不貞を咎める事よりも、目の前でその誓いを破られた者を気に掛ける事を選んだのは、誠一なりの優しさを見せた結果だと私は思っている。

 ただ青木夫妻が不誠実だったかと言えば、そうではない。夫婦で話し合った結果である事は間違いないのだ。麻里子は自分の抱いた想いに罪の意識を感じ、その意識から旦那にもはっきりと告げていた。旦那は旦那で、自分の知らない間にやりとりが行われているのが嫌だと、あの場に同席していた。あれはあれで、夫婦としての誠実さなのだと思う。少なくとも夫婦の間では、きちんとしたやり取りが行われていた。

 

 余談だが、私個人として、煮え切らない誠一に対して怒る旦那の気持ちが分からなくもない。自分の愛する人間が、あんなにもまっすぐに気持ちを示しているのに伝わっていないのが、どうにも腹立たしかったのだと思う。麻里子を愛するが故に、麻里子が報われない事が許せなかったのだろう。

 

 

「ただ告げたかっただけ」が許容される世界

 宏美が想いを告げた後に言った言葉は、個人的に興味深かった。告白しておきながら、誠一が宏美を好きでいたら気持ち悪いと言ったのだ。

 この映画を利用して、成人と未成年が付き合う事の是非を問いたい訳ではないし、この映画もそこに重きは置いていないと思う。「好きだから付き合いたい」という、ある種普遍的な考え方とは違うアプローチが描かれていた事に、私は感動したのだ。

 事恋愛を描いた作品の多くは、登場人物が誰かに想いを告げ、その後の関係性の発展が描かれる事がほとんどだ。しかし本作のこの発言からは、関係の発展が望まれていない。むしろ想いを告げながら、その想いが成就する事を良しとしていない。

 要は、「好きという気持ちを伝えたかっただけ」なのだ。そこにそれ以上の考えは無く、ただただ自身が抱えていた「好き」という気持ちを、相手に知って欲しかったというだけの話なのだ。

 

 ある意味では、自分勝手な考え方なのかもしれない。一方的に気持ちを伝えて、それで満足してしまうという一連の流れに、相手の気持ちは組み込まれていないのは確かだ。ただ、あんなにも誠実に、まっすぐに想いを告げる事が、果たして迷惑な事なのだろうか。私はそうは思えない。

 少なくとも映画に登場する人達は、きちんと弁えた上で思いを告げていた。宏美は自身の幼さを自覚していたし、陽子は同性である事を自覚していて、麻里子においても旦那にきちんと事情を説明していた。皆それぞれに、自分の立場を弁えた上で「好きです」に止めていた。そこに相手への配慮が無かったと言えるのだろうか。

 私は、想いを告げても関係が拗れない事を褒めたい訳ではない。ただ告げたかったかた告げたという事が許されている状況が、ひどく羨ましいのだ。この状況を作り出すのは、告げる側の誠実さだけでは無理だ。告げられた側がその誠実さを許容できなければ作り出せない。お互いに優しさがあるからこそ、「伝えるだけ」の関係が成立するのだと思う。

 

 

俳優陣の自然体な表現

 内容も素晴らしかったが、出演者のお芝居も非常に素晴らしかった。

 本作の主演、田中圭さんの自然体な表現には、思わず見惚れてしまった。花をこよなく愛する主人公・誠一の優しさを、言葉からだけではなく、立ち振る舞いや醸し出す雰囲気から感じさせてくれるのだ。

 

 誠一の台詞はそんなに多くないが、言葉のチョイスからも相手を気遣ってる様子が見て取れる。またその立ち振る舞いだが、子供と話すときは目線を合わせたり、相手の辛いところには敢えて踏み込まなかったりと、誰かを尊重しようとする気持ちが、その動作からも感じられる。花を取り扱う手つきも、テキパキとしていながら丁寧。「花が恋人」という台詞に、違和感を感じさせない。

 また麻里子を演じたともさかりえさんの、ちょっと抜けた感じのセレブが非常に笑いを誘う。本人は至って悪い事はしていないという感じが、誠一や旦那と感覚と食い違っていて、ちぐはぐな感じが笑いを誘うのだ。

 映画の世界観が持つ不器用さや温かさを、出演者全員が作り上げ表現していて、見ていて非常に心地が良かった作品だった。芝居と言う世界で、あんなにも人間味に溢れた表現ができる事に、脱帽するばかりである。

 

 

『mellow』という優しさを感じて

 こうして感想記事をまとめ、今や佳境に差し掛かっているところなのだが、果たしてこの感想がきちんと内容に合ったものなのか、不安で仕方ない。いつも不安に思っている事なのだが、今回はまた一段と、監督や出演者が意図する事をくみ取って鑑賞できたのか、自身を疑ってしまうのだ。

 特に『mellow』という作品は、言葉の通り豊潤でまろやかな人間関係を描いており、言語化するのが難しい。はっきりとした相互関係が成立しているのではなく、どこかあやふや。そこに溢れる心地よい空気感を「感じる映画」なのだと私は思う。

 ただそれでも、言葉にしたくなった。この思いをなんとか形にして残しておきたかった。綺麗事が言いたかった訳じゃない。ただあの劇場で感じた優しさを、愛情を、あやふやなほんわりを、どうにか刻み込みたかった。

 

 振り絞って本作の感想を言葉にするのなら、互いに清く誠実であるところから、優しさは生まれるのだと思った。ただ遠慮する事が優しさではない、一方的に押し付ける事が優しさなのではない。お互いの距離感を正しく認識し、保っていって初めて優しさが生まれるのではないかと考える。そして優しさがあって初めて、愛情と言うものが成立するのではと感じた。

 …果たして、私にも実践できるのだろうか。『mellow』ような優しさを。努力だけは怠らないようにしていきたい。

『mellow』映画前売券(一般券)(ムビチケEメール送付タイプ)

『mellow』映画前売券(一般券)(ムビチケEメール送付タイプ)

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: ムビチケ
  • メディア: Video Game