考えた事もなかった。自分の感情を書き留める目的で今までやってきたので、「ラジオのように」か…。うん…なるほど…。
なんと素晴らしい発想だろうか。確かに私個人のブログ巡りを振り返ってみると、「上手い文章」もさる事ながら、「その人らしさ」を求めている自分がいた。文章に個性の光を求めているのだ。正直文章として読みにくいものでも、好きなブログは多々ある。やはり私は、ブログから感じ取れる「その人らしさ」を楽しみに、文章を読んでいるのだろう。
もちろん情報の正しさとか有用性とかも大事ではあるし、人それぞれのブログの在り方があって当然構わないのだが、いち読み手として、一介のブログファンとして考えた場合、やはりその人だけが書けるユーモア溢れる言葉チョイスだったり、私では到底できないような経験や思考を感じ取れる方が楽しい。そういう「その人らしさ」を感じた時、読者登録に自然とカーソルが進むのだ。
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さてさて、では私。私はどうなのだろうか。「話し手」として、面白いものを提供できているのだろうか。
今まで自分の為と言い聞かせ、つらつら思った事を綴ってきたわけだが、ネットの海に流す以上、それなりに表現には気を付けてきたつもりだ。それでも疑問を抱く。果たして私の表現を、人となりを気に入ってブログを読んでいる人はいるのだろうか…。
考えてみれば、そもそも私には「人にどう思われたいか」が薄い気がする。「良い人と思われたい」「嫌われたくない」がせいぜいで、自分への意識が乏し過ぎる。まずはそこからではなかろうか。
自分がラジオを聴くときも、やはりパーソナリティのキャラクター性を楽しみにしてラジオを聴く。キャラクターとして面白い、人として魅力のある人のお話は、基本的に面白い事が多い。
にも関わらずだ。自覚的に他人に他人を求めているにも関わらず、自分に対しては何も求めていない。何も据えていない。このままで果たしていいものだろうか。言いわけが無いだろ。
まぁでも、こればかりは考えても仕方ない事でもある。どんなにこちらが努力しても、好意的に思ってもらえるかどうかは、最終的には「読み手」次第である。私は私で、読んでもらえる為の工夫を記事毎に最大限努力しているつもりなので、後は「なるようになれ」でしかないのだ。
…とりあえずは、このブログが誰かの「暇つぶし」になれれば、今のところ御の字かな。うん。