映画としての出来は、非常に良かったと思う。「ボレロ」からスタートし、パロットモンが出現。その暴走を成長した「選ばれし子供達」が止めにかかる。
「アグモン、進化だ!」の掛け声とともに光るスマホ型デジヴァイス。そして鳴り響く劇場版「brave heart」のイントロ。回転するアグモンが徐々にアップになり、いつの間にかグレイモンへと進化。突如巻き起こるパロットモンとの戦闘。
あの頃。何もかもが希望に満ちていたあの頃。無限大の夢の真っただ中だったあの頃に見た、緑の怪鳥と橙色の恐竜との戦闘が、令和を迎えすっかり大人になった私の目に飛び込んでくる。もうこれだけで、私の心を懐かしさが全力で殴り抱擁する。
話が進行するたびに、感じるのは子供達の成長。ほとんどの子供達が、自分のやりたい事に向かって真っすぐ歩んでいる姿が如実に描かれてく。対照的に浮き彫りになるのは、どこに歩むか悩みあぐねる太一とヤマトの姿。どこかで見た事あるような姿が、なんとも言えない気持ちを誘う。
明かされるパートナー関係解消の真実。それでもなお戦おうとする太一とヤマト。まやかしの永遠に焦がれながら、圧倒的な強さの前に絶望しながら、それでも立ち上がり戦う2人。長年の相棒に励まされながら、覚悟を決める2人。至る最後の絆の進化。
勝利を勝ち得た2人に待っていたのは、別れの時。静かに、懐かしむ様に、そしていつもの様に、小さな相棒と言葉を交わす。しかし明日の話をしようとしたその時にはもう、冒険は終わってしまっていたのだった。
相棒との別れに涙し、2人は未来へと歩み始める。それぞれに目標を見つけ、まっすぐに進み始める。その眼差しには、幼き頃の輝きがまだ宿っている様に感じた。
そう、20年。『デジモンアドベンチャー』に魅せられた子供達はすっかり大人になってしまった。そんな大人になってしまった子供達にとって、この映画は薬であり毒だ。あの頃のときめきと時間の経過という悲痛が同時に押し寄せてくこの映画は、劇場に駆けつけた子供達を、容赦なく殴りつけてくる。殴られながら、嘗ての子供達は思い出に満たされていたのではなかろうか。
ただ、ただ私は、私個人としては、毒の作用が強かった。途中から何も感じなくなってしまった。理由は明確である。映画を見ながら、私は「選ばれなかった人間だったんだ」と、強く自覚したからだ。
私はどちらかといえば02世代である。オメガモンは大好きなのだが、それ以上にインペリアルドラモンパラディンモードに強く憧れる世代である。そんな02世代の希望は、子供達全てに希望があるというテレビ版の最終回。このラストには批判的な意見も多々あるのだが、私は子供ながらに心が躍った。俺にも可能性があるんだって。
しかし時間が流れる中で、私は少しずつ周りから取り残されていった。怠惰故だろうか、そもそも能力が劣っているからだろうか、今でも考えるのだが、考えて分からない時点で私は負け組なのだ。
特別と言えば特別なのかもしれない。人よりも劣るという意味では、他に誰もいない。ああ確かに特別だ。そんな特別なんて望んでもいなかったが。
周りから取り残されながらも、それでもやりたい事はできた。早く就職して、その為に働こう。そう思ってついに上京した。その時は、確かに可能性を感じていた。
ただ扉を開けてみればどうだろう。私が活躍できる場なんて微塵もなかった。圧倒的に能力が足りなかったし、もがき苦しんだが不足を埋める事は叶わなかった。私が求められたのは月謝だけ。私には才能なんてなかったのだ。
仕事も同じである。短大で知識は身に着けたつもりだったが、そんなものは何の役にも立たなかった。加えて理解できない範囲は日々進化し続けているという。もはや私は、どこに自分の拠り所を求めればよいのか分からなくなった。
何もない私と違って、太一やヤマトには世界を救うだけの力があったし、嘗ての子供達も皆一様に「やりたい事」を実現していた。映画の主犯であり、「選ばれし子供」だったメノアも、飛び級できるほどの秀才である。
あぁ違う、違うのだ圧倒的に。結局私は「選ばれなかった者」だったのだ。夢も希望もなく、ただただ生きる為だけに10時間近く好きでもない事をしている私は、間違いなく彼らとは違う。そう感じた時、私の中の『デジモンアドベンチャー』は空虚なものになった。
以前テレビ番組でモデル4人が、「相手の顔が羨ましい、自分はそうでもない」みたいな発言をしあっているのを見た事があるのだが、その時と同じ気持ちになった。「できる人間の葛藤」程、できない私にとって空しい事は無い。結局あの映画は、これまで歩んできた道を楽しみ、納得できた人間だけが涙できる、そんな映画だったかなと個人的に思うのだ。
繰り返しになるが、映画そのものの出来は非常に良かった。『デジモンアドベンチャー』の続編として、最後と言い切る映画として、これ以上の作品は無いだろう。
映画の楽しめなかったのは、完全に私個人の問題である。私が怠惰で、人より劣っていて、そんな時間を過ごしてきた私が悪いのだ。間違いない。
嘆かわしいのは、自分の能力の無さもそうだが、無限大の夢の後がこんなにも何もない世の中だなんて、あの頃はちっとも思わなかった事である。