まるマッコリの日記(仮)

自分の思ったこと、好きなものを書いていきます。主に特撮やFGO。

まるマッコリの日記(仮)

『仮面ライダージオウ NEXT TIME ゲイツ、マジェスティ』感想 作品に過剰な期待を寄せる自分に、向き合わなくてはいけない気がする。

 思うに、『仮面ライダージオウ』が楽しかったのは、レジェンドキャストの出演以上に、結騎さんの「ZI-O signal」の影響が大きい。

www.jigowatt121.com

 

 日々何となくヒーローが活躍する姿を楽しんできた私にとっては非常に心躍る連載企画だった。思わず膝を打ってしまう考察文章は、毎週のジオウライフをより魅力的なものへと昇華し、新たな発見へと歩ませてくれた。(ブログという世界にも足を運ばせてくれた)

 

 故に私にとっての『仮面ライダージオウ』は、「論理的な魅力の詰まった作品」「理詰めの仮面ライダー」なのである。30分の中で起こる事象1つ1つにちゃんと意味があり、深みがあり、その深みががっちりかみ合って作品としての旨味を形成する。そんな作品であったと、今でも思っている。

 そんなジオウのVシネ展開。きっと面白いに違いないと、予告映像に胸躍った。今思えば、過剰に期待しすぎたのかもしれない。

【メーカー特典あり】仮面ライダージオウ NEXT TIME ゲイツ、マジェスティ ゲイツマジェスティライドウォッチ版(初回生産限定)[Amazon.co.jp特典:オーディオコメンタリー反省会CD(押田 岳×戸谷公人×白倉伸一郎 プロデューサー)] [Blu-ray]

 

 

 

 正直作品の感想としては「悪くないが良くもなかった」である。ゲイツがこれまでの2号ライダーのライドウォッチを身にまとって変身するのなら、きっと「2号ライダー」にフィーチャーしたシナリオ展開になるのではないかと期待したのだ…うーん正直物足りなかった。

 実際に期待した流れは多少あったし、良かったところももちろんある。戦いの記憶を失い、柔道に励むもケガが原因で目標を失った「ただの」高校生・明光院ゲイツに襲い来る試練。そこに伊達や照井が仲間の大切さを説き、海東や草加仮面ライダーとなる覚悟を問う。かつての「2号ライダー」として平和を守ってきた大人達の影響を受け、「ただの」高校生ゲイツが覚悟を決めての変身。うん、良き流れだと私は思う。これでもかと追い詰められたゲイツがドライバーとウォッチを手に取り、仲間を守りたいと決死の変身。変身後は得意の柔道技をふんだんに仕掛けていく戦闘スタイル。良い。2号ライダーとしての精神を新たに携えた、新たなる「仮面ライダーゲイツ」の誕生に、心が躍った。

 

 

 ここからだ。私が首をかしげてしまったのは。

 真の黒幕の登場。そこに海東が介入し、ゲイツの記憶を呼び覚ます。戦いの記憶を呼び覚ましたゲイツは、嘗て慕った魔王である友人が作り上げた平穏を守る為に、2号の歴史を継承する…。良い流れなのだが、記憶を取り戻してからのゲイツマジェスティ登場までのスパンが短く、いささか急展開な感じが否めない。テレビ版の1年の時間がマジェスティに至ったというのは理解できるのだが、それにしても個人的には、記憶を取り戻すのはもう少し早くても良かったのではなかろうかと考える。

 それに記憶を呼び覚ましたのが海東であると演出されていたように見えたのだが、それだと何のために「仮面ライダーとしての覚悟」を問うたのかイマイチピンとこない。海東の裁量次第で、いつでも「戦士としてのゲイツ」の記憶が戻るのなら、さっさと戻してしまえば良かったのではなかろうか。だって1年もかけて戦ってきた記憶なら、既に覚悟は決まっている訳なのだから。

 記憶を戻す条件に、ゲイツの覚悟が必要だったという事だろうか。でも結局記憶が戻ってしまえば覚悟ができた状態になるわけだから…。ゲイツ人間性を見たかったのだろうか…。あぁ、私はもしかしてナンセンスな事言ってるのでは…?

 

 

 

 さらに不満はある。ソウゴやツクヨミが戦った点についてだ。正直記憶が戻っていないソウゴやツクヨミが戦う必要は全くなかったのではなかろうかと思う。

 確かに画的に4人のライダーが揃うのは壮観である。戦って欲しくないのかと言われれば嘘になる。しかし、「仮面ライダーグランドジオウ」も「仮面ライダーツクヨミ」も、そこに至るまでには紆余曲折あったのに、同一人物とはいえ「ただの高校生」が変身できてしまうというのは、個人的には興醒めであったなと。

 そもそも、あんなにもあっさりと「ただの高校生」が仮面ライダーに変身してしまうと、さっきまでのゲイツの覚悟が非常に馬鹿らしく見えてくる気がするのだ。なんというか、それは悲しい。ゲイツ、あんなにもかっこよかったのに…。

仮面ライダージオウ DXグランドジオウライドウォッチ

仮面ライダージオウ DXグランドジオウライドウォッチ

  • 発売日: 2019/06/08
  • メディア: おもちゃ&ホビー
 

 

 

  後は、グランドジオウは過去の平成ライダーを呼び出せるのに、ゲイツマジェスティは呼び出せないんだな…とか、細かいところで落胆する箇所もあった。

 ―これは偏に、私が期待しすぎたせいなのだと思う。私の中で『仮面ライダージオウ』が、大きくなりすぎたのだ。良くない。これは良くない。

 もっとフラットな気持ちを、ヒーローの存在を信じる幼子のような気持ちを、私は忘れてないようにしなければならない。作品の続きが見れる、それだけで幸せではないだろうか。それに決して全てが悪かったわけではない。後は解釈の問題だ。

 そう、作品が楽しめなかったのは、たぶん私の問題なのだ。

仮面ライダージオウ Blu-ray COLLECTION 2

仮面ライダージオウ Blu-ray COLLECTION 2

  • 発売日: 2019/06/12
  • メディア: Blu-ray
 

Google アドセンスに合格しました

 合格しました、「Google アドセンス」。挑戦回数は10数回です。

 

 こういう時「これで私は合格しました!」みたいな事を書けばいいのでしょうが、特段工夫は無いんですよね…。しいて言えば、Google サーチコンソールにサイトマップを登録した事と、著作権に引っ掛かりそうな画像掲載が無いかチェックした事ぐらいです。あとはしつこく再申請を繰り返しました…。
 サイトマップの登録は、調べてれば色んな人が記事にしてくれていますので、検索してみてください。

karupoimou.hatenablog.com

 

 連続して申請すると修正していないと判断される為、「再申請は不合格から2週間程度空けた方が良い」と言うのが通説なんですが、私がはじかれた理由が「サイトの停止または利用不可」。

 ―おっとこれはGooglさんが私のサイトの存在を認知できていないって事か

 と解釈した私は、明確な規定違反は出てないと判断し、不合格になっては片っ端から再申請を行ってまいりました。
 もっと言えば、サイトマップを登録するまでもちょっと時間がかかりました。検出されるまで何度もチャレンジしましたので、たぶんそういうものだと思います。

 

 

 上記より、私が体験談として伝えられる事は「根気よく申請しよう」という事です。ブログ記事の密度を上げたり、著作権関係をきっちり守ったりなど、必要なものとしてルールに記載されている事は最低限守るとして、あとは根気よく申請していくしかないかなと。

 もっとも、私の不合格理由が「サイトの停止または利用不可」しかなかったので、他にどんな不合格理由があるのか分かっていません。もしも他の不合格理由をもらった方は、もちろんそれを解消するべきだと思います。

 

 

 ...合格したはいいんですけど、広告のレイアウトがイマイチうまくいってない気がします。これはどうしたもんかね(笑)。ちょっと調整を続けてみます。

 とは言え、肝心の収益に関してですが…正直期待はしていません。PV数もまだまだですし、それに収益目的でやっているブログではないので。それでも無いよりはあった方がいいので、月に100円でも利益が出れば、御の字だと思っています。

 もちろん、読まれる様には引き続き頑張っていくつもりですが、これからも更新内容は変わらず映画や特撮の話をしていこうと思っていますので、よしなに。

結局私は「選ばれなかった者」なのだ 『デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆』感想

 映画としての出来は、非常に良かったと思う。「ボレロ」からスタートし、パロットモンが出現。その暴走を成長した「選ばれし子供達」が止めにかかる。

アグモン、進化だ!」の掛け声とともに光るスマホデジヴァイス。そして鳴り響く劇場版「brave heart」のイントロ。回転するアグモンが徐々にアップになり、いつの間にかグレイモンへと進化。突如巻き起こるパロットモンとの戦闘。

brave heart~LAST EVOLUTION Version~

brave heart~LAST EVOLUTION Version~

  • アーティスト:宮﨑歩
  • 発売日: 2020/02/19
  • メディア: CD
 

 

 あの頃。何もかもが希望に満ちていたあの頃。無限大の夢の真っただ中だったあの頃に見た、緑の怪鳥と橙色の恐竜との戦闘が、令和を迎えすっかり大人になった私の目に飛び込んでくる。もうこれだけで、私の心を懐かしさが全力で殴り抱擁する。

 話が進行するたびに、感じるのは子供達の成長。ほとんどの子供達が、自分のやりたい事に向かって真っすぐ歩んでいる姿が如実に描かれてく。対照的に浮き彫りになるのは、どこに歩むか悩みあぐねる太一とヤマトの姿。どこかで見た事あるような姿が、なんとも言えない気持ちを誘う。

Butter-Fly(2020年8月18日(火)までの期間生産限定)

Butter-Fly(2020年8月18日(火)までの期間生産限定)

  • アーティスト:和田光司
  • 発売日: 2020/02/19
  • メディア: CD
 

 

 明かされるパートナー関係解消の真実。それでもなお戦おうとする太一とヤマト。まやかしの永遠に焦がれながら、圧倒的な強さの前に絶望しながら、それでも立ち上がり戦う2人。長年の相棒に励まされながら、覚悟を決める2人。至る最後の絆の進化。

 勝利を勝ち得た2人に待っていたのは、別れの時。静かに、懐かしむ様に、そしていつもの様に、小さな相棒と言葉を交わす。しかし明日の話をしようとしたその時にはもう、冒険は終わってしまっていたのだった。

 相棒との別れに涙し、2人は未来へと歩み始める。それぞれに目標を見つけ、まっすぐに進み始める。その眼差しには、幼き頃の輝きがまだ宿っている様に感じた。

映画ノベライズ デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆 (ダッシュエックス文庫)

 

 

 そう、20年。『デジモンアドベンチャー』に魅せられた子供達はすっかり大人になってしまった。そんな大人になってしまった子供達にとって、この映画は薬であり毒だ。あの頃のときめきと時間の経過という悲痛が同時に押し寄せてくこの映画は、劇場に駆けつけた子供達を、容赦なく殴りつけてくる。殴られながら、嘗ての子供達は思い出に満たされていたのではなかろうか。

 ただ、ただ私は、私個人としては、毒の作用が強かった。途中から何も感じなくなってしまった。理由は明確である。映画を見ながら、私は「選ばれなかった人間だったんだ」と、強く自覚したからだ。

第1話 漂流? 冒険の島!

第1話 漂流? 冒険の島!

  • 発売日: 2015/02/27
  • メディア: Prime Video
 

 

 

 私はどちらかといえば02世代である。オメガモンは大好きなのだが、それ以上にインペリアルドラモンパラディンモードに強く憧れる世代である。そんな02世代の希望は、子供達全てに希望があるというテレビ版の最終回。このラストには批判的な意見も多々あるのだが、私は子供ながらに心が躍った。俺にも可能性があるんだって。

 

 しかし時間が流れる中で、私は少しずつ周りから取り残されていった。怠惰故だろうか、そもそも能力が劣っているからだろうか、今でも考えるのだが、考えて分からない時点で私は負け組なのだ。

 特別と言えば特別なのかもしれない。人よりも劣るという意味では、他に誰もいない。ああ確かに特別だ。そんな特別なんて望んでもいなかったが。

 

 周りから取り残されながらも、それでもやりたい事はできた。早く就職して、その為に働こう。そう思ってついに上京した。その時は、確かに可能性を感じていた。

 ただ扉を開けてみればどうだろう。私が活躍できる場なんて微塵もなかった。圧倒的に能力が足りなかったし、もがき苦しんだが不足を埋める事は叶わなかった。私が求められたのは月謝だけ。私には才能なんてなかったのだ。

 仕事も同じである。短大で知識は身に着けたつもりだったが、そんなものは何の役にも立たなかった。加えて理解できない範囲は日々進化し続けているという。もはや私は、どこに自分の拠り所を求めればよいのか分からなくなった。

 

 

 何もない私と違って、太一やヤマトには世界を救うだけの力があったし、嘗ての子供達も皆一様に「やりたい事」を実現していた。映画の主犯であり、「選ばれし子供」だったメノアも、飛び級できるほどの秀才である。

 あぁ違う、違うのだ圧倒的に。結局私は「選ばれなかった者」だったのだ。夢も希望もなく、ただただ生きる為だけに10時間近く好きでもない事をしている私は、間違いなく彼らとは違う。そう感じた時、私の中の『デジモンアドベンチャー』は空虚なものになった。

 以前テレビ番組でモデル4人が、「相手の顔が羨ましい、自分はそうでもない」みたいな発言をしあっているのを見た事があるのだが、その時と同じ気持ちになった。「できる人間の葛藤」程、できない私にとって空しい事は無い。結局あの映画は、これまで歩んできた道を楽しみ、納得できた人間だけが涙できる、そんな映画だったかなと個人的に思うのだ。

 

 

 繰り返しになるが、映画そのものの出来は非常に良かった。『デジモンアドベンチャー』の続編として、最後と言い切る映画として、これ以上の作品は無いだろう。

 映画の楽しめなかったのは、完全に私個人の問題である。私が怠惰で、人より劣っていて、そんな時間を過ごしてきた私が悪いのだ。間違いない。

 嘆かわしいのは、自分の能力の無さもそうだが、無限大の夢の後がこんなにも何もない世の中だなんて、あの頃はちっとも思わなかった事である。

「ブログ≒ラジオ」、果たして私は誰かのパーソナリティになれているのだろうか。

www.jigowatt121.com

amanatsu0312.hateblo.jp

 

 

 考えた事もなかった。自分の感情を書き留める目的で今までやってきたので、「ラジオのように」か…。うん…なるほど…。

 なんと素晴らしい発想だろうか。確かに私個人のブログ巡りを振り返ってみると、「上手い文章」もさる事ながら、「その人らしさ」を求めている自分がいた。文章に個性の光を求めているのだ。正直文章として読みにくいものでも、好きなブログは多々ある。やはり私は、ブログから感じ取れる「その人らしさ」を楽しみに、文章を読んでいるのだろう。

 

 もちろん情報の正しさとか有用性とかも大事ではあるし、人それぞれのブログの在り方があって当然構わないのだが、いち読み手として、一介のブログファンとして考えた場合、やはりその人だけが書けるユーモア溢れる言葉チョイスだったり、私では到底できないような経験や思考を感じ取れる方が楽しい。そういう「その人らしさ」を感じた時、読者登録に自然とカーソルが進むのだ。

 

 

 さてさて、では私。私はどうなのだろうか。「話し手」として、面白いものを提供できているのだろうか。

 今まで自分の為と言い聞かせ、つらつら思った事を綴ってきたわけだが、ネットの海に流す以上、それなりに表現には気を付けてきたつもりだ。それでも疑問を抱く。果たして私の表現を、人となりを気に入ってブログを読んでいる人はいるのだろうか…。

 

 考えてみれば、そもそも私には「人にどう思われたいか」が薄い気がする。「良い人と思われたい」「嫌われたくない」がせいぜいで、自分への意識が乏し過ぎる。まずはそこからではなかろうか。

 自分がラジオを聴くときも、やはりパーソナリティのキャラクター性を楽しみにしてラジオを聴く。キャラクターとして面白い、人として魅力のある人のお話は、基本的に面白い事が多い。

 にも関わらずだ。自覚的に他人に他人を求めているにも関わらず、自分に対しては何も求めていない。何も据えていない。このままで果たしていいものだろうか。言いわけが無いだろ。

キャラクターの作り方

キャラクターの作り方

 

 

 

 まぁでも、こればかりは考えても仕方ない事でもある。どんなにこちらが努力しても、好意的に思ってもらえるかどうかは、最終的には「読み手」次第である。私は私で、読んでもらえる為の工夫を記事毎に最大限努力しているつもりなので、後は「なるようになれ」でしかないのだ。

 …とりあえずは、このブログが誰かの「暇つぶし」になれれば、今のところ御の字かな。うん。

超 暇つぶし図鑑

超 暇つぶし図鑑

  • 作者:ARuFa
  • 発売日: 2017/05/10
  • メディア: 単行本
 

『娘の友達(3)』感想 その叫びは、私の心を深く抉った。

 日々は、疲れる。優秀な人でも、そうでない私のようなでくのぼうでも、日々生きていれば、疲れる。昔は大なり小なりという表現を用いていたが、「疲れ」や「ストレス」とは、人によってその負荷は異なるという事を、最近になってようやく気が付いた。他人にとっては大した事なくても、私にとっては大した事。他人にとっての小石は、私にとっての岩石であり、逆もまた然り。結局、みんな等しく「疲れている」。

 

 だからみんな、癒しを求める。疲れない自分を求める。もしくは楽しい自分を求める。趣味に興じるという形で癒しを求めるのが一般的でしょうか。仕事や日々の営みとは違う「やるべき事」ではない、「やりたい事」に没頭する。そうして人は、日々の疲れを癒す。

 癒される瞬間は人それぞれなのですが、他にも「人に認めてもらう」というのは、個人的には大きな癒しになると考えています。体がしんどくても頑張って働いた、嫌な事も我慢して働いた、そうやっていつもより疲弊した心に、誰かからの優しい言葉を求める瞬間が、私にはあります。

 

 「よく頑張って働いているね」「頑張って働いて偉いね」「嫌な事でも我慢できたね」

 

 そうやって頑張りを認められた瞬間こそ、私にとってはこれ以上ない癒しになるのです。

 子供っぽいでしょうか。それでも私は、誰かに認めてもらいたい。

 

 

娘の友達(3) (モーニング KC)

 

 

 古都は、疲れ切った晃介の姿を見抜いて、「認めた」。これが晃介にとって、どれだけ救いになった事だろうか。娘に問い詰められて出た心の叫びが、私の心に突き刺ささる。

 古都の真意は分からない。本当に愛してくれているかも定かではない。それに相手は未成年で娘と同い年だなんて、社会的立場も揺らぐ。危険だ。危なすぎる。大人としては確実に間違っている。

 それでも、それでもときめいた。甘くすり寄る彼女の存在を、疲弊しきった心の拠り所にしていた。サラリーマンとしての晃介ではなく、父親としての晃介ではなく、その双方の在り方に疲れた、なんでもない「市川晃介」に気づき、認め褒めてくれた古都。果たしてそんな彼女に対して、特別な感情を抱けずにいられるのだろうか。

 

 世間的には、社会人でありながら未成年に揺らぐ晃介の事を肯定するのは、非難される事なのだろう。私も、決して正しい感情とは言い切れない。

 ただ、それでもどこかで、晃介の事を許してあげて欲しいという気持ちが募っている。それが堪らなく、怖いのだ。全面的に肯定できない事を肯定したいという矛盾した感情。この漫画はその矛盾をこれでもかと眼前に突き付けてくる。

 晃介を肯定する事は、社会的立場を考えると気が引ける。しかし晃介を否定する事は、承認される事や癒される事を否定している様で、現実世界で必死にもがき生きている自分に止めを刺してしまいそうな感覚になる。この何処にも持っていきようのない感情、分かってくれなくてもいい。分かってくれなくてもいいが、せめて認めて欲しいと思うのだが。

 これは、わがままなのだろうか。

 

 

 余談だが、少なくとも晃介の気持ちは、揺れながらも純粋であると思う。古都が家に来ると聞いて掃除を始めるあたり、彼の純粋さが表れていると思う。気になる女性が家に来るとなれば、男としては正しい反応ではないかと、個人的には思うのだ。そこに純愛すら感じる。

 誠実ではある。ただ誠実なだけでは、まかり通れない世の中でもあるのも正直な話。そんな閉塞的な世の中で生きていると、彼女の笑顔が、いっそう心に痛く染みる。