思うに、『仮面ライダージオウ』が楽しかったのは、レジェンドキャストの出演以上に、結騎さんの「ZI-O signal」の影響が大きい。
日々何となくヒーローが活躍する姿を楽しんできた私にとっては非常に心躍る連載企画だった。思わず膝を打ってしまう考察文章は、毎週のジオウライフをより魅力的なものへと昇華し、新たな発見へと歩ませてくれた。(ブログという世界にも足を運ばせてくれた)
故に私にとっての『仮面ライダージオウ』は、「論理的な魅力の詰まった作品」「理詰めの仮面ライダー」なのである。30分の中で起こる事象1つ1つにちゃんと意味があり、深みがあり、その深みががっちりかみ合って作品としての旨味を形成する。そんな作品であったと、今でも思っている。
そんなジオウのVシネ展開。きっと面白いに違いないと、予告映像に胸躍った。今思えば、過剰に期待しすぎたのかもしれない。
正直作品の感想としては「悪くないが良くもなかった」である。ゲイツがこれまでの2号ライダーのライドウォッチを身にまとって変身するのなら、きっと「2号ライダー」にフィーチャーしたシナリオ展開になるのではないかと期待したのだ…うーん正直物足りなかった。
実際に期待した流れは多少あったし、良かったところももちろんある。戦いの記憶を失い、柔道に励むもケガが原因で目標を失った「ただの」高校生・明光院ゲイツに襲い来る試練。そこに伊達や照井が仲間の大切さを説き、海東や草加は仮面ライダーとなる覚悟を問う。かつての「2号ライダー」として平和を守ってきた大人達の影響を受け、「ただの」高校生ゲイツが覚悟を決めての変身。うん、良き流れだと私は思う。これでもかと追い詰められたゲイツがドライバーとウォッチを手に取り、仲間を守りたいと決死の変身。変身後は得意の柔道技をふんだんに仕掛けていく戦闘スタイル。良い。2号ライダーとしての精神を新たに携えた、新たなる「仮面ライダーゲイツ」の誕生に、心が躍った。
ここからだ。私が首をかしげてしまったのは。
真の黒幕の登場。そこに海東が介入し、ゲイツの記憶を呼び覚ます。戦いの記憶を呼び覚ましたゲイツは、嘗て慕った魔王である友人が作り上げた平穏を守る為に、2号の歴史を継承する…。良い流れなのだが、記憶を取り戻してからのゲイツマジェスティ登場までのスパンが短く、いささか急展開な感じが否めない。テレビ版の1年の時間がマジェスティに至ったというのは理解できるのだが、それにしても個人的には、記憶を取り戻すのはもう少し早くても良かったのではなかろうかと考える。
それに記憶を呼び覚ましたのが海東であると演出されていたように見えたのだが、それだと何のために「仮面ライダーとしての覚悟」を問うたのかイマイチピンとこない。海東の裁量次第で、いつでも「戦士としてのゲイツ」の記憶が戻るのなら、さっさと戻してしまえば良かったのではなかろうか。だって1年もかけて戦ってきた記憶なら、既に覚悟は決まっている訳なのだから。
記憶を戻す条件に、ゲイツの覚悟が必要だったという事だろうか。でも結局記憶が戻ってしまえば覚悟ができた状態になるわけだから…。ゲイツの人間性を見たかったのだろうか…。あぁ、私はもしかしてナンセンスな事言ってるのでは…?
さらに不満はある。ソウゴやツクヨミが戦った点についてだ。正直記憶が戻っていないソウゴやツクヨミが戦う必要は全くなかったのではなかろうかと思う。
確かに画的に4人のライダーが揃うのは壮観である。戦って欲しくないのかと言われれば嘘になる。しかし、「仮面ライダーグランドジオウ」も「仮面ライダーツクヨミ」も、そこに至るまでには紆余曲折あったのに、同一人物とはいえ「ただの高校生」が変身できてしまうというのは、個人的には興醒めであったなと。
そもそも、あんなにもあっさりと「ただの高校生」が仮面ライダーに変身してしまうと、さっきまでのゲイツの覚悟が非常に馬鹿らしく見えてくる気がするのだ。なんというか、それは悲しい。ゲイツ、あんなにもかっこよかったのに…。
後は、グランドジオウは過去の平成ライダーを呼び出せるのに、ゲイツマジェスティは呼び出せないんだな…とか、細かいところで落胆する箇所もあった。
―これは偏に、私が期待しすぎたせいなのだと思う。私の中で『仮面ライダージオウ』が、大きくなりすぎたのだ。良くない。これは良くない。
もっとフラットな気持ちを、ヒーローの存在を信じる幼子のような気持ちを、私は忘れてないようにしなければならない。作品の続きが見れる、それだけで幸せではないだろうか。それに決して全てが悪かったわけではない。後は解釈の問題だ。
そう、作品が楽しめなかったのは、たぶん私の問題なのだ。