まるマッコリの日記(仮)

自分の思ったこと、好きなものを書いていきます。主に特撮やFGO。

まるマッコリの日記(仮)

『“隠れビッチ”やってました。』感想 愛せないから愛されたい、主人公は私より賢い私。

そこには、器用な私がいた。

『“隠れビッチ”やってました。』鑑賞しました。

隠れビッチやってました。オリジナルサウンドトラック

kakurebitch.jp

 

いつもは彼女の仕事が終わるまで待って家に帰るのですが、この日彼女が別の予定でいなかったので映画を見ることに。丁度良い時間に見れる映画はないかと探した結果、こちらの作品を鑑賞する事になりました。

ビッチ…。卑しくも男としては反応せざるを得ない単語。ちょっとばかり邪な気持ちを抱えて劇場へと足を運ぶ私。我ながら嫌な人間だと思っています。

…迎えたエンドロール。気付いたら私は随所で泣いており、目から頬にかけて乾いた涙でガビガビになっていました。あぁ、ひろみは、人に好かれる術を実行できるだけの私なんだと、痛いほどに痛感させ、最後の最後まで私の心を抉ってきました。なんというか、共感しちゃって泣いちゃってる時点でまだまだなのでしょうが、非常に他人事では済まされないような内容だったと思います。

以下感想、というより愚痴をつらつらと。

あと、映画の内容的に不適切な単語がチラホラ出てきます。ごめんなさい。

 

 

「荒井ひろみ」はどこかで見たことある人間

人からチヤホヤされたい。大なり小なり、おそらく万人が持っている感情だと思うのですが、自分に自信が無い人程、その傾向は強まるかなと思っています、実体験として。自分で自分を承認できないから、他人からの承認を得て自身の承認とする。誰にでも普遍的に存在する「認めてもらいたい」という感情を自分で満たすか、他人から満たされるかの違いです。

しかしこの「他人からの承認を得て自身を認証する手法」、人によっては毒となりうる行為だとも思ってまして…。

他人からの承認を得て、自分の承認へと転換できる人(所謂「褒めて伸びるタイプ」。「〇〇を褒められた自分にはできるはず」と、他人から褒められた事を糧に自分の自信にできる人)は、個人的には建設的だなと思います。他人からの承認は必ずしも得られるものではないので、いずれは自分で自分を認め、自ら自信を発生させる事ができれば、安定して前向きに行動できるかなと。

問題は、他人からの承認を自分の承認に転換できない人。褒められたその時だけ気持ちを満たす事、または褒められた事そのものを否定する事しかできない場合、正直しんどいばかりです。底に穴が開いたバケツに永遠と水が入っていくイメージ。いくら他人から褒められても、自分の実績にならないから、次から次に他人からの承認が欲しくなる。私はどちらかと言えば後者です。これは非常にしんどい。

 

故にあらゆる男から「好き」を求めるひろみの気持ち、どうしようもなく分かるんですよ(私が男から「好き」と言われたいという話ではなく、他人からの好意を無限に集め歩く姿勢に共感するという話)。分かるが故に、見てられないのです。その場限りの他人からの承認ばかりでは、結局自分の心は満たされないのだと。永田に連れ込まれそうになった帰りの電車でのシーンで、なんとなく自覚しているところがさらに辛い。でも分かっててもやめられないんだよね。他人からの好意こそ、唯一自分を保てる餌なんだもの。

 

さらに言えば、理不尽に怒り出すのも似ててゾっとしました。今はだいぶ無くなったと思うのですが、私も些細な事でキレ散らかしては、いろんな人を困らせていまして。分かる。理由は無いんだけど、無性に納得できない。この怒りは自分の心の不完全さ故に起こる怒りなんですよね…。

ひろみの場合は、頼んだものを買ってきてくれなかった→私のお願いなんてどうでもいい→私なんてどうでもいい→怒りという流れでしたが、これ結局、自分が不完全な事を嫌でも自覚してるから、些細な事でも「嫌われた」ってマインドになっちゃってるんだと思うんですよね…。加えて「受け入れてもらえる事の幸せ」をようやく噛み締め始めたひろみだったので、より敏感になっていたのだと。

 

おまけに嫌いな人間の血が通っている事を自覚し絶望すると来た。非常に分かる…。親の嫌なところを見て「あんな風になるもんか」と思って生きてきたのに、いざ自分が大人になってみると、そっくりなんですよね…。あんなにも嫌だと思って生きてきたのに、結局親子としての繋がりには抗えないって事なのかも。

まぁ自覚するだけでも多少は軽減できますからね。その辺は最後のひろみを見ていた感じ、なんとなく大丈夫そう。

 

人に愛されたいと願いつつ上辺だけの好意を集めて満足し、いざ真に好意を向けられても自身が不完全であるが故に不安になる。あー嫌だ、見たくない程私にも心当たりがある。スクリーンで動いているのは、顔面の綺麗な私なんですよ…。

 

ただ私とひろみで違う点もありまして。彼女は「好き」と言われる事に対しての努力に余念が無かったんですよ。男の習性を研究し、データを集めては解析し、どのように技として昇華できるかを思案し実行した。ある意味真面目で努力家な女性だと思うんですよね。私みたいにリビングでゴロゴロしながら、「あーみんなに好かれねぇかなー」なんてうわ言言っている怠惰な奴とは訳が違う。正しく研究し、正しくアウトプットして成果を得る。この点においては、ひろみは凄く素晴らしいんですよ。方向性がまったくもって正しくないけど。

あとは私はそんなにきれいな顔面をしていない、以上。

『"隠れビッチ"やってました。』映画前売券(一般券)(ムビチケEメール送付タイプ)
 

 

 

三沢

三沢って、めちゃくちゃいい人なのか、元々ひろみ側の人間だったのか、イマイチ判断がつかない…。前向きに解釈するなら、模範的な「いい人」なんですよね。夢が無いなりに一生懸命で、適度に異性との関係も経た上で、自分の弱さも自覚し認めている。ひろみとは対照的な人間ともとらえらえます。

逆に正反対にダメな奴との解釈できる気がしてまして。経験人数を「覚えていない」とそのまま解釈するなら、ヤリチンって事ですし。「僕と同じだから」って言葉の意味も変わってくる…。

―まぁさすがに考えすぎですかね。誰彼構わず女を漁る人間だったら、「距離を置こう」なんて提案もしなければ、出て行った彼女を思って落ち込んだりしませんよ、多分。それに嫌なところも含めて愛せるのは、真に愛がある証かなと個人的に思います。

 

それと三沢のような人間が、ひろみには必要なんですよね。不完全さすらも抱擁してくれる人が。自分が嫌だと思っているところも受け入れてくれる愛が、ひろみのようなメンタルの人間の傍にいるべきだと思います。なかなかうまくいかない事も多々あるんでしょうが、そのうちコンプレックスも薄くなっていくんじゃないかなと。自分を受け入れる余裕が生まれれば、他人を受け入れる余裕もできてきますし。うまくいけばの話ですが。

隠れビッチやってました。オリジナルサウンドトラック

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  • 発売日: 2019/12/06
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 

 

この映画のラストについて

この映画、冒頭でわざわざ「エンドロール後にも映像があるよ」というメッセージを表示しており、ちょっと無粋だななんて思っていたのですが。なるほど。最後のシーンがあるかないかではこの映画の印象は変わってくる。これは最後まで見て欲しいわけだ。

明確に描かれていない分、どうとらえるかはある程度観客に委ねられているのだと思っているのですが、私は「人の弱さはそう簡単に克服できない」という方向で話を解釈しました。なぜなら私がそうだから。

これまで何度も「やっちゃだめだ」を繰り返してきた事か(私に多数の不純異性交遊があったという話ではなく、私自身の心の弱さに負け続けたという話)。三沢のまっすぐな愛によって、ある程度人間らしい感じにはなったと思うのですが、結局根底にあるものってなかなか変えられないと思うんですよね。真実の愛で人の弱さが簡単に克服できる程、世の中うまくはいかないでしょ?

安藤からの「会いたい」。浮気が原因で別れた元カレからの連絡。十中八九「都合のいい女」認定されているんだと思います。安藤が寂しさを紛らわす為に頼れそうな「つて」を使っただけの話。この辺、おそらくひろみも分かっているはず。しかし私の眼には、「会いたい」という罠に、ひろみが前向きな返事をしてしまおうとしているように見えました。

過去に本気で愛したからこそ抗えないのか、自分に向けられた好意に逆らえないのか、もしくは三沢からの愛情を感じられなくなったのか、三沢からの愛情だけでは足りなかったのか。迷うひろみの気持ちも分からなくはないですが、「今の幸せ」を噛み締めて感じ取る事も、生きる上では必要なんだよと、(自分に言い聞かせつつ)考えるばかりです。

 

 

ブーメラン

しんどかった。『JOKER』よりも私にはクリティカルだった。後で原作読もう

…。

自己肯定感低い人間って、たぶん大体あんな感じなんですよ。みんなに好かれたくて、ちょっとした事で不安定になって、自分自身を信頼していない。他人からの愛情で自身を保っていく事は決して悪い事ではないんですが、そればかりでは人としてまだまだなんだなと、この映画で改めて思うばかりです。いつかは自分の足で立たなければダメなんですよ。ただひろみの様に、特殊な環境下で育った人もいると思うので、難しいと思うんですけどね。

後は、不完全な自分を許す事ができれば、もう少しまっとうに生きられるとは思うんですよね。それが「許容」になるか、それとも「諦め」になるかは捉え方次第ですが、やはり自分を認めていく事、自分を許していく事をしていかないと、何時までも人には愛されないし、人を愛せないかなと、どこかの誰かを思いながら考えてしまいます。

…ひろみ、もう少し縛られずに生きていければいいな。

“隠れビッチ”やってました。

“隠れビッチ”やってました。